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所在地: 大阪市中央区平野町2−2−12 構 造: 鉄筋コンクリート造 地上5階(一部6階)地下1階 建造年: 1930年(昭和5年) 設 計: 宗建築事務所 宗 兵蔵 (原案:大倉三郎 実施設計:脇永一雄とされる) 施 工: 大林組 特 徴: スクラッチタイル(手掻きの縦縞模様のタイル)とテラコッタ(素焼きの陶片)を 活用したアールデコ調のビルです。屋上の時計塔と出窓(3〜5階)丸窓(2階)が、 巨大な振り子時計のデザインとなっています。 登録有形文化財指定(登録番号27-0019, 平成9年6月12日) |
(1)沿 革
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生駒時計店は、明治3年(1870)高麗橋5丁目(現在の御堂筋淀屋橋)に「大阪屋権七・大権堂」の商号にて創業しました。当時、御堂筋は幅3間位(約5m)の道でした。昭和の初め、御堂筋の拡幅と地下鉄工事のために立ち退かねばならぬこととなり、当時、堺筋出張所のあった現在地に当ビルを新築、同年9月に竣工・移転しました。地下鉄御堂筋線は、昭和8年に梅田−難波間が開通しています。 設計は、宗 兵蔵氏(堺筋難波橋・柴島浄水場などの設計者)、施工は大林組で、地上5階(塔屋6階)地下1階の鉄筋コンクリート造りで、総工費15万円であったとの記録があります。 昭和20年3月、大阪大空襲により、周辺は全くの焼け野原となり、西側も南側も隣家まで焼失しましたが、当ビルは堅牢なコンクリート壁に守られ、戦災を免れました。平成7年1月の阪神淡路大震災の時も激しく揺れ、隣のビルの窓が半分以上破損する状況においても当ビルに被害がなかったのは、建築の際に直径6寸5分の松丸太を493本、基礎杭として打ち込んだという工法のためかもしれません。 |
(2)改 修
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1982年、保守が困難になったことから、エレベーターを入れ替えました。大理石の装飾(1階)を伴った扉は残されましたが、二重蛇腹の扉、昇・降のハンドルによる操作などが失われました。 1983年、築後50年を超えて、テラコッタの一部が落下するという出来事があったため、外壁の大改修を行いました。タイルの剥離を防ぐためにエポキシ樹脂注入接着を行い、テラコッタの一部に防水塗装を施すと共に、剥離の原因である腐食しかけていた鉄製窓枠をアルミサッシに取り替えるなどの改修を行っています。 1991年、外装が美しくなったのに比して、傷みの目立っていた1・2階店舗を改修しました。その際、同時に外観の原形を極力保ちながらも、入り口やショーウィンドウのシャッターを電動式に入れ替え、入り口の鉄扉も従来の雰囲気を活かしたエッチングの強化ガラスに変更されました。 2002年、このビルを今後も維持し、有効活用していくために、耐震性の補強と老朽化していた設備の一新を行いました。水回りの配管や電気関係設備を入れ替え、新たに光ファイバーも施設しました。 |
(3)特 徴
A 時計塔
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屋上の時計塔を堺筋から見上げると、時計の下、5階から3階にかけて縦に長く出窓があり、その下の2階部分に丸窓があります。これは時計の振り子をデザインしたものですが、近年は街路樹の落葉した秋冬に、東北方向から眺めないと見えにくくなっています。 時計の機械は、建築時(1930)にロンドンから取り寄せたもので、鐘を打ち鳴らしていましたが、昭和50年代に、セイコーの交流式時計に入れ替えました。オリジナルの機械は現在も保管されています。 |
B タイルとテラコッタ
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外壁タイルは手掻き線入り(スクラッチ)の別注品です。1983年の改修時、窓枠入れ替えのために相当数のタイルを破損させざるを得ませんでしたが、同型のものを調達出来ないので、ビル裏側(西側)4,5階部分に残っていたタイルを丁寧に剥がし取り、仕上げ直して使用しました。 テラコッタは、屋上回りの装飾、各階の窓の上下のラインなどに使用され、アールデコ調の建築様式を強調しています。東北面ファサードの屋上から3階にかけて縦に取り付けられた彫刻風の装飾は、ビルを特徴づけていますが、その意味は残念ながらよく判っていません。 その最上部に取り付けられた生駒時計店の商標である「駒形に生」のマーク(縦55cm横43cm)は戦時中の銅地金供出によって長らく抜け落ちていましたが、現在は復元されています。 |
C 鷲の石像
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2カ所の入り口と5つのショーウィンドウ計7カ所の上部に御影石の鷲(ワシ)の彫刻が置かれています。現存している設計図では、西洋で知恵の象徴とされる「フクロウ」となっていますが、当時の我が国においてフクロウは「夜行性の暗いイメージ」を持っていた故に変更された、と伝えられています。 |
D ガラス煉瓦
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東・北2カ所の入り口の足下にあるガラス煉瓦も、以前はよくみられたようですが最近は少なくなっているように思われます。当ビルのガラス煉瓦も地下の「明かり採り」として設計されましたが、傷みがひどくなっています。通用門の部分は、古くに破損したとみえ、セメントで塗り固められています。 |
E 正面大理石階段(1階内部)
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イタリー製大理石を使用した階段は、戦前には赤いカーペットが敷かれていました。(復元されています)大理石には随所にアンモナイトの化石が含まれています。 総大理石の階段は2階まで。2階から3階にかけては大理石は手すり部分に使用されています。 |
F ステンドグラス(1階内部)
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正面階段の窓に飾られたステンドグラスは建築当時の輸入品です。改装にあたってショーウィンドウ上部にはめ込まれていたものを取り外し、現在の位置に変更しています。 西面小窓の2つの小さなステンドグラスのデザインは、片方がアルファベットの「G」で当時のものですが、もう一方は改装にあたって復元したものです。元のデザインは不明でしたが、当社の英文名称がG.IKOMA,Ltd.であることから「I」としています。当社の創業者・生駒権七(ゴンシチ)のイニシャルです。 |
H 天井と柱(1階内部)
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非常に高い天井は、照明配線の問題や空調の効率のため、長年、仮天井で梁の下まで低くされていました。1991年の店舗改装の際に元に戻し、深い梁、柱上部の装飾も、ほぼ元通りに復元しました。 中央にある2本の異様と思えるほど太い柱は、陳列の配置を困難にし、死角があるため店舗としては不自由もありましたが、より重厚な雰囲気を醸しています。柱や壁の大理石の上部はタイル張りとなっており、その目地は「純金粉塗」であったようです。設計仕様書にも、そのように記され、2-30年前までは部分的に残っていましたが、現在ではその形跡は判らなくなっています。 |
I エレベーター扉(1階内部)
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東・北2面開き(1階のみ北面開き)で、2重蛇腹、「昇・止・降」のハンドル運転だったエレベーターは、2面開きが検査に通らず1階を使用できない状態でしたが、保守・維持も困難となったに1982年に機械一式を入れ替えています。新たに1階も東面開きとして使用できるようにしました。北面の旧扉は大理石の装飾枠・回転式のインジケーターとも、往時のままの姿を残しています。
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J 照明器具(1階内部)
| 照明器具は一部が現存しています。階段の照明は2台残っており現在も使用しています。またアールデコ模様の門灯が保存されています。2002年の大規模改修の際、倉庫の一番奥から1階で使われていた照明器具が2台発見されました。現在は、塗装のみを直してオブジェとして展示しています。 |
K 設計図
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一部、青焼きの設計図が残っているのは確認されていましたが、15年ほど前に、倉庫となっていた塔屋から、古い箱に入ったまま大量に発見されました。一部紛失がありますが、平面、立面はもとより、照明や配筋・配管、その他かなりの図面が保存されています。当時の建築申請書類一式や、宗 兵蔵による詳細な設計仕様書(*1)などは、貴重な資料と言えるかもしれません。 (*1)設計仕様書は、宗 兵蔵の孫にあたる方が来阪された際、「祖父の筆跡である」と確認されました。 平成9年、登録文化財に指定される以前から(昭和50年代後半のレトロブームの頃から)、取材や見学の方が来られるようになりました。それまでは、ただ古くて薄汚れたビルだったのですが・・・・。当社は、単に自社ビルの効率面から判断するのではなく、皆さまに親しんでいただけるものである限り保存していきたいと考えております。特に見学のために開放しているビルではありませんが、営業時間内、かつ支障のない範囲であればご覧戴けます。ご関心のある方は、お気軽にお声がけ下さい。 |